なぜ私は「秒速5センチメートル」に惹かれてしまうのか?
前回の記事、映画「秒速5センチメートル」の追記です。
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なぜ私は、この映画に惹かれてしまったのだろう?
なぜ主人公に感情移入してしまったのだろう?
巷ではこの映画をみて余韻から抜け出せなくなってしまった人を「秒速病」と呼ばれているらしい。
私がこの映画に惹かれ感情移入して世界観にはまってしまった理由として考えられるのが、自身の恋愛経験からきていると考えられる。
私には、10代の頃ではなく大人になってからだけれど「遠距離恋愛」の経験がある。
しかし、逢いたい時に逢えない、顔を見れないというのは、恋愛の継続を非常に困難にさせてしまう。
最初の頃はメールでのやり取りを頻繁にしていたものの、回数がどんどん減っていってしまう。
「文字だけのやりとり」は限界がある。
次第にその「文字だけのやりとり」に虚しさを感じはじめ、どちらかもなく自然消滅のような形になってしまうケースが遠距離恋愛の場合は非常に多い。
しかし、相手を嫌いになっったわけではない。
彼のことは変わらぬ「好き」なままなのだ。むしろ「好き」という気持ちも会わない分、美化されたり理想化もされてしまう。
これが普通のお付き合いだったら、別れを迎えるにしても相手の嫌な部分を近くで沢山見てうんざりして限界となっていくのだろうけれど、遠距離恋愛⇒破局というケースにはそういうことがないのだ。
貴樹が明里を心のどこかでずっと引きずっているのも納得がいく。
まして10代の時の初恋の相手だからこそ切なさも余計増す。
遠距離恋愛の束の間の逢瀬の刹那の瞬間、ずっとそのままではいられないという諦念にも似た気持ち、相手を忘れることのできない・・・・そういう切なさがダイレクトに私には響いてきたのである。
明里が貴樹に渡せなかった手紙の用に、ひっそり箱の中にしまって時々読み返したい。
私にとって「秒速5センチメートル」はこんな風に心の中でひっそりと大切にしていきたい映画である。
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